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ダメダメ社長ブログ

2012年11月06日

母のこと、東日本大震災のこと

10月21日付『毎日新聞』で、岩手県大船渡市の仮設商店街で、ぼくの母、高橋コウと妹の恵美が営む家庭料理店「おふくろの味 えんがわ」が取り上げられました。記事は本ホームページのメディア掲載情報に転載されているのでご覧ください。

記事にもありますように、私の母は津波を3回経験しています。昭和8年3月の昭和三陸地震とそれによる津波、昭和35年5月のチリ地震による津波、そして今回の3月11日の東日本大震災です。

ぼくは大震災後に大船渡へ行って母親を東京に連れてきたのですが、数カ月生活して東京にもなじんだのですが、「やっぱり、住み慣れた場所がいい」と言って大船渡に戻ってしまいました。その後、妹と2人で仮設住宅に住むことになりました。しかし、支援物資や補助を受けて生活しているだけではよくないと思い、ぼくたちが大船渡応援団を組織して、がれきの中に20店舗くらいある仮設の屋台村の中に居酒屋「えんがわ」をつくったのです。

母親にも妹にもお客さん商売の経験はありません。そこでぼくは、母親をマスコットガールにしたらどうかと提案しました。被災地で家庭料理を振る舞うおばあちゃんをマスメディアで宣伝したもらい、観光客を呼ぼうと思ったのです。

母は広報と料理、妹は接客を主に担当するということで始めました。そうすると近所の人たちが野菜をもってきてくれたり、週に何日かそこで働いてくれたり。最初は2人だったのが、いまでは5~6人で居酒屋を回すようになりました。

お店を始めた当初は、親戚から「86才の母親になんてことをさせるんだ」と責められました。でも母は大震災の前より元気になっています。仮説住宅でじっとしていたら倒れてしまったかもしれません。高齢者にとっては、そこにモノがあるだけではだめで、そこで働けること、活躍できる場があることが大切なのです。これまで高齢者向け住宅を運営した経験から、ぼくはそう思っていました。

母はぼくの生みの親ではありません。

ぼくは岩手県花巻で生まれたのですが、父がダム建設などの土木工事の労働者として飯場生活をしていたことから、東北や北海道を転々とする生活を続けていました。飯場の生活は荒っぽく、仕事が終わると父はお酒を飲んで、暴れることもありました。そんな生活に耐えられなくなった実の母はぼくの姉を連れて、飯場の同僚と駆け落ちしてしまったんです。

その後は父と2人暮らしです。とはいえ、父や飯場の男たちは昼間は出かけてしまいます。ぼくは一人で山のなかに残されました。夜だってお酒を飲みにいってしまうので、テントのような小屋で一人で寝ることも珍しくありません。夜は真っ暗だし、動物の鳴き声は聞こえるし、怖くて、怖くて。結局、父はぼくをいろいろなところに預けたあげく、盛岡の旅館に置いていきました。

預けられた先でのぼくは大人の気持ちを必死に探ろうとしました。気に入られなければ追い出されてしまう。それでぼくには「この人はどんなことを考えているんだろう? どんなことを求めているんだろう?」と考える癖がついた。いまも誰かと話している時は自然と考えます。この人は興味をもって聴いているのだろうか、ぼくの話に退屈しているのではないか、と。

しばらくして父は旅館に戻り、大船渡に移転しました。それからまた一緒に暮らすことになるのですが、そこで父が再婚した相手がいまの母なのです。

新しい母に対しても、ぼくはどうしたら好きなってもらえるか、何をすれば喜んでもらえるか、を考えました。一方、母は裏表のない性格で、誰にでも優しい(だから「おふくろの味 えんがわ」に彼女の「ファン」になったお客さんが来てくれるのだと思います)。信仰心も厚く、大船渡にあるお寺で修業をしたり、お布施をあげたりしていました。(自分もかなり貧乏だったのですが)。

母には諦観のようなものもありました。世の中には自分の力ではどうにもならないことがある。苦労が絶えない生活、三度にわたる地震や津波の経験が彼女をそうさせたのかもしれません。ちなみに、昭和35年5月のチリ地震の時、ぼくたちはその2~3カ月前に海辺の飯場生活から山の方に移ったので助かりました。

ぼくも母に連れられて仏教の支部に行って、母のそばで話を聞いていました。そうしたことが、大人の顔色を伺い、「いい子」を演じていた自分の性格を少しずつ変えていったのだと思います。その後、ぼくには2人の妹ができ(うち一人が「おふくろの味 えんがわ」を営んでいる恵美です)、ぼくは高校を卒業するまで大船渡で暮らしました。

なぜぼくが自分の生い立ちを直截に書いたかというと、子供の頃からの経験がぼくの経営哲学に少なからず影響を与えていると考えるからです。このことについては、追々お話ししていきたいと思っています。

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プロフィール

(株)コミュニティネット
代表取締役社長 高橋英輿
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1948年
岩手県花巻市生まれ。
(株)CAOS建築設計勤務の後(株)連空間設計を設立し代表取締役就任、コーポラティブハウスづくりを手がける。
1983年
任意団体生活科学研究所を設立、代表に就任。
現在はNPO生活科学研究所の理事。
1987年
株式会社生活科学研究所を設立し、高齢者住宅や有料老人ホームづくりに本格的に携わる。
1988年
社団法人長寿社会文化協会常務理事事務局長に就任(翌年退任)。
1998年
生活科学運営代表取締役就任。
2001年
(株)生活科学研究所を(株)生活科学運営に一本化。
2003年
社団法人コミュニティネットワーク協会常務理事就任。
2005年
株式会社生活科学運営の経営を若手に移行し名誉顧問となる。
2006年
株式会社コミュニティネット 代表取締役に就任。
社団法人 コミュニティネットワーク協会副理事長就任。
2008年
株式会社生活科学運営 名誉顧問 退任。
2011年
社団法人 コミュニティネットワーク協会 副理事長 退任。
2012年
~ 現在に至る

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